あなたはからだ派、それともこころ派?結局は『命の学び』のラストピースに辿り着く

だれもが持っている疑問
1、どうして私は生まれてきたの?
2、生きている目的は何?
3、幸せに生きるにはどうすればよいの?
4、私はなんでこんなに辛くて苦しいの?
5、死んだらどうなるの?
要するに『命』に関する疑問、つきつめると自分では何にもわからなくなり、不安だけが残る疑問。

そして、確信をもって答えるどころか、日常だれもがその疑問をできれば忘れたいと薄々感じているらしいことがわかる。

でも、ここで最低でもあなたが納得しなくてはならないのは、すべての現実はあなたが引き寄せているという事実。

あなたがこの現実を作っていると言って良いかもしれない。

大抵の人は、ここで引っかかる。

「世の中、理不尽なことだらけで自分が関わるなんてとんでもない。なんで自分以外のことに責任を取らなければいけないのか。自分は悪くない。」

あなたが良いとか悪いとか言っているわけではありません。

でも、少なくても自分の身の周りに起きることに責任を取りながら生きずに他人のせいにしてると自分が成長しないので苦しくなります。

ある程度、歳を重ねると自分なりに人生をデザインしないと生きづらいことに気づき始めるので例の質問に自分なりにチャレンジし始めます。

ここで僕は今日、閃きました!

この問題に取り組み始める年齢は人によってそれぞれですが、多くの場合『こころ』からアプローチする人と『からだ』からアプローチする人に分かれる!ってことです。

ちなみに、僕は20年くらいから『からだ』からこの問題のアプローチを始めました。

もちろん、まだ結論を見つけたわけではありません。

多分、見つけてしまったら死んでも良くなるのでそう簡単にはみつからないようになっているようです。

しかし、なぜからだからこの問題にアプローチする人がいたり、こころからアプローチする人がいたりするのか、紹介したいと思います。

Contents

『命』ってなんなの?

結局、「命ってんなの?」というところに行きつくわけですが、こんなことを真面目に考える暇があるほど、日常生活はのんびりしてません。

関西弁でいえば、「またけったいな話しようとしてまんな。わてら食べてくので精一杯で、そんなん考えても腹の足しにもならしませんがな」

でも、何かの拍子に疲れて「死んでしまったら、どうなるのだろう?」と考えだしたときに、この命題に気づくのかもしれません。

そして、人間は落ち込んだら立ち直るように出来ています。これは自然の摂理で、人間は苦しいことより楽しいことを求めるようにできているからのようです。

「それでは、一番楽しく幸せな『命』を全うするにはどうすればよいのだろう?」と最初に考え始めた人がいるはずです。

それは、死ぬほど落ち込んだ人が立ち直るために編み出したメソッドのような気がするのは、ぼくだけでしょうか?

からだからのアプローチ

からだで一番落ち込むと言えば、病気になることですよね。

その病気が治りにくいほど、激しく落ち込み、これ以上頑張ってもどうにもならないと観念してしまうと、人は『命』ってなんだろうと感じ始めるのではないでしょうか?

僕の場合はそれがずいぶん早い10歳の時でした。

リウマチ熱という膠原病にかかり、病院との入退院を繰り返す中であまりの痛みに「死んだ方がまし」とか思うようになるんですよね。

『命』を意識して、どうやったらつらい体の痛みから逃れて普通の生活に戻れるのか、そればかり考えていましたし、それが出来なきゃ死ぬのかと子供心に感じていたことは確かです。

病院でも手を付けられない状態だったのを救ってくれたのは、漢方とか鍼灸、整体、食事療法などの代替医学でした。

その中でも、器具も何も使わずからだの歪みを整える健康法、操体法がありました。

30代になって、やはり自分だけでなくこの情報をみんなに伝えたいと思って、整体師になったわけです。

からだが健康になれば、こころも自然と癒されて『命』についても理解できると単純に思っていました。

ところが、健康になることが必ずしも幸せでハッピーでないことがわかってきます。

言ってしまえば、幸せになる一つの尺度が『健康』であり、お金や人間関係、プライベート、仕事などがバランスよく釣り合っていないととても幸せとは言えないことがわかってきたのです。

要するにこころの問題が、『命』に大きくかかわっていたのです。

こころからのアプローチ

ぼくが、これらすべてのバランスが重要だと気づいたのは還暦の歳に近づく最近の話です。

自己実現を求めてサラリーマンを辞め、うまくいかなかった最初の結婚生活を清算して心機一転、海外で生活しようとやってきたのがカナダでした。

なんとか自分の整体師としても生活基盤も安定してきたのですが、家族関係・人間関係・副業など自分としては一生懸命やっているつもりでも、ことごとく失敗し、とても幸せとは呼べない悶々とした毎日を送っていたのがつい2年前くらいのことです。

健康については、専門家なので、整体手法から波動エネルギー療法・手技療法などを片端からむさぼるように勉強しました。

しかし、最終的に行き着いたのは、こころのメソッドでした。ソウルエッセンシャルメソッドと言います。

今までの既成3大宗教・新興宗教・スピリチュアル系・ヨガ・瞑想法・心理学的手法を経験していましたが、ピンと来ませんでした。

しかし、これはそのどれにも当てはまらない、それでいて100%本物だと確信して即座にやることを決心しました。

理由はありません。多分自分に合っていたんだと思います。

『命』について自分の内部をみつめようと思ったきっかけは、僕の場合お金や人間関係・副業などがまったくうまく行っていないとき、言い換えれば、精神的にどうしようもないドツボにはまった時でした。

このとき、からだからのアプローチでは届かなかった『命』の秘密に、僕は届いた感じがしました。

でも、それはぼくがからだを通じて『命』にある程度、日常的に触れていた経験があったからだと今は確信しています。

『命』を学ぶには2つのタイプがある

さて、こころからのアプローチを学ぶことによって、ぼくが探していた『命』の学びのラストピースが完成する予感がしました。

ここで僕が感じた疑問、それはこころからのアプローチだけで『命』の学びを完結できるのかということです。

たしかにこころは非常に大事ですが、私たちがなぜわざわざ物質社会である3次元社会に住んでいるのかを考えると、自ずと答えは見えてくるのではないでしょうか?

この社会ではモノとモノ同士がぶつかる社会です。

想像したように、うまくことは運びません。あちこちぶつかりながらいろいろ回り道をしながら大切なことに気づかされていく、それがこの社会です。

完全無欠な『魂』がこの社会に生まれ、成長するためには、あちこちぶつかる自分=からだ が不可欠なのです。

ですから、できるだけいろいろな経験を積んでいくためには、このからだをきちんとメンテナンスしていくことはとても大事なことです。

僕が閃いたのは、人にはこころからアプローチタイプとからだからアプローチタイプがいるということです。

これは、長い話を縮めて言うと『命』の学びをするのに

✔主に想像力の働きをからだを使わずに行う人…からだを動かすのがあまり好きではない
✔主に想像力の働きをからだを使って行う人…からだを動かすのが好き

この2種類の人がいるということです。

どっちが良くて、どっちが悪いとかということではなく、本質的に学びのスタイルが違うということでしょうか。

そして見つけた魂整体

私の体験から編み出したこころとからだの両方からのアプローチで人生を整えるメソッド『魂整体』があります。

そのどちらにも共通しているキーワードが『嫌なことをやめる』です。

こころの場合は、我慢していること、努力していること、頑張っていること、これらは本当の自分がやりたいことでないことが多いので、自分自身の心の感覚がマヒしてしまい、本当の自分(魂)の声が届かず悩むことが多くなります。

からだの場合は、同じで我慢している、努力している、頑張っている動き=痛みの伴う動きを続けていくとからだの感覚がマヒしてしまい、からだ(魂)の声が届かず、からだを壊すことが多いのです。

ですので、両方に共通しているのは、『嫌なこと(動き)を止める』と本当の自分がやりたいこと(動き)が見えて来ることなのです。

最初はからだやこころのどちらを優先してメソッドを構築していくか悩んでいました。

でも、山登りと一緒で山頂にたどり着くには、どのルートを辿ってきてもいいのです。

だれでも好き嫌いがあるし、得意分野や苦手分野があります。

大事なことは、こころからのアプローチの人でも、からだからのアプローチの人でもとっつきやすくて効果の高いメソッドに仕上げるということです。

その上でLINE@に登録してもらえば、今だと無料で実際にこころでもからだでもあなたが抱えている問題を1つリーディングして解決のお手伝いをしていまます。

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それでは、LINE@でまたお会いしましょう!

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